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生成AIは「脳の拡張機能」である——壁画から始まる思考の外部化の歴史

今、世の中は「生成AI」の話題で持ちきりです。 多くの人はこう言います。

「これは仕事を楽にしてくれる、便利な自動化ツールだ」と。

しかし、その認識は本質を見誤っています。

もしAIを単なる「時短マシーン」だと思っているなら、あまりに勿体ない。

これを説明する前に、私たちの文明の原点であり、全ての始まりである「石器」について整理しておきましょう。

私たちは普段、石器を単なる「原始的な調理器具」や「武器」だと思っています。

しかし、人類学的な視点で見ると、あれはもっと劇的な意味を持っています。

石器とは、人類が初めて手に入れた「取り外し可能な、硬い拳(こぶし)」なのです。

自分の「手」をじっと見てみてください。 柔らかい皮膚、爪は薄く、骨は折れやすい。

ライオンのような鋭い爪もなければ、象のような踏み潰す力もありません。

素手の人間は、自然界ではあまりに無力です。

他の動物たちは、何万年もの時間をかけて、自分の肉体そのものを「進化」させることでこの弱さを克服しようとしました。

より鋭い牙へ、より硬い皮膚へ。これが「体内進化」です。

しかし、人間は違いました。 身体を進化させるのを諦め、その代わりに「硬い石」を拾ったのです。

その瞬間、人間の柔らかな手は、鉄のように硬い「ハンマー」になり、カミソリのように鋭い「ナイフ」になりました。

身体を作り変えることなく、外部の物質を使うことで、手の機能を劇的に飛躍させたのです。

これこそが「身体の拡張」です。

今、世間を騒がせている生成AIも、この延長線上にあります。

石器が「手の拡張」であったように、AIもまた、人間が進化の過程で手に入れた「新しい身体パーツ」の一つに過ぎないのです。

目次

なぜ人は「脳」を外部化しようとしたのか?

石器によって「物理的な弱さ」を克服した人類は、次にどこを拡張しようとしたのでしょうか?

それは、私たちの「脳」です。

脳の容量には限界があり、抱えきれないイメージや情報を外に出さなければ、思考が前に進まなかったからです。

1. ラスコーの壁画:最初の「プロジェクター」

太古の昔、洞窟の中で「狩りの様子」を思い描いた原始人はどうしたでしょうか。

A:「頭の中」だけでイメージし続ける

B:「壁」にそのイメージを描き出す

Aのままでは、その人が死ねばイメージも消えてしまいます。

しかし、Bのように壁に描き出した瞬間、それは他人と共有できる「情報」になり、後世に残る「記録」になります。

壁画とは、人類が初めて手に入れた脳内イメージのプロジェクター(出力装置)でした。

「描く」という行為によって、私たちは頭の中にあるものを物理空間に定着させる術を手に入れたのです。

しかし、壁画には致命的な欠点がありました。

「その場所に行かないと、記憶(データ)にアクセスできない」ことです。

人間が移動すれば、知恵は置き去りになってしまいます。

2. 粘土板:持ち運べる「壁」

そこで人類は、洞窟の壁を小さく切り取り、持ち運ぼうとしました。

それがメソポタミアなどで使われた「粘土板(タブレット)」です。

湿った土に文字を刻み、焼き固める。

これによって、人類は初めて「知識をポケットに入れて移動する」ことに成功しました。

法律、契約、物語。

これらが人の移動と共に世界中へ広まったのは、記憶が「場所」から解放されたからです。

しかし、粘土板は重く、書くのに時間がかかりすぎました。

思考のスピードに、道具が追いついていなかったのです。

3. ノート:思考するための「外部回路」

やがて、パピルス(粘土板)を経て「紙」が発明されると、革命が起きます。

圧倒的に軽く、圧倒的に速く書ける「ノート」の誕生です。

皆さんは、仕事や勉強で当たり前のようにノートをとります。

ダ・ヴィンチも、アインシュタインも、膨大なノートを残しました。

なぜ天才たちは、頭の中だけでなく紙に書いたのでしょうか?

それは、「忘れるため」です。

人間の脳のメモリ(ワーキングメモリ)は非常に小さく、一度に3つか4つのことしか考えられません。

新しいアイデアを思いついても、それを保持しようとすれば脳の容量が埋まり、深く考えることができなくなります。

粘土板では遅すぎる。壁画では持ち運べない。

しかし、ノートなら、思考と同じスピードで書き殴ることができます。

記憶や事実をノートに書き出す(預ける)ことで、脳のメモリを強制的に空っぽにし、空いたリソースを「思考」や「判断」に全振りする。

「書く」という行為は、単なる記録ではありません。

脳の外側に回路をつなぎ、処理能力を拡張する「思考のインストール」そのものなのです。

20世紀に登場したPCやスマホも、本質的にはこの「ノート」の進化形に過ぎません。

しかし、この「最強のノート」には、一つだけ決定的な弱点がありました。

それは、人間が書かない限り、白紙のままであるということです。

生成AIがもたらした「逆転現象」

ここで登場するのが生成AIです。

これがなぜ革命的かと言えば、これまでの道具(石器から壁画、粘土板、ノートまで)と人間との間にあった「矢印の向き」を逆転させたからです。

1.「入力待ち」から「提案」への逆転

これまでの道具は、すべて「受動的」でした。

ノートは勝手に文字を書かないし、壁画も勝手に浮かび上がりません。

「人間がまず手を動かし(入力)、道具が結果を出す(出力)」。

常に「人間(Start)→ 道具(End)」という一方通行でした。

しかし生成AIは違います。

「何かいい企画ない?」と曖昧に投げかければ、「こんなのはどうですか?」と10個の案を書いて返してきます。

白紙のノートが、向こうから文字を埋めてくるのです。

これは人類史上初めて、道具の方から人間に向かって「矢印(提案)」が飛んでくるようになったことを意味します。

2.「0→1」の負荷の逆転

創作や思考において最も苦しいのは、真っ白なノートを前にして、最初の1行目を書き出す「0→1」の作業です。

これまでは、この最もカロリーを使う工程を人間が担い、その後の「清書」や「保存」を道具が担っていました。

生成AIはこの負荷を逆転させます。

苦しい「0→1(叩き台の作成)」をAIという外部脳にやらせ、人間はその中から「これがいい」と選んだり、「ここを直して」と修正したりする「1→100」の工程に集中する。

「人間が書き、機械が保存する」時代から、「機械が書き、人間が選ぶ」時代へ。

この主客の転換こそが、生成AIがもたらした真の「逆転現象」なのです。

拡張の果てに残るもの:意味づけ

石器で「手」を、パピルスで「記憶」を、AIで「創造」までも外部化した私たち。

すべてを外部に任せた時、人間の身体(内側)に最後に残る機能とは何でしょうか?

それは、「意志(Will)」と「審美眼(Curation)」です。

AIは「100個のアイデア」を出せますが、「今、どれをやるべきか」という「決断」はできません。

AIは「美しい文章」を書けますが、それが「人の心を震わせるか」という「感動の判定」は人間にしかできません。

これらを合わせて、私たちは「意味づけ」と呼びます。

「プレイヤー」から「指揮者」へ これからの人間は、自分で楽器(石器やペン)を演奏するプレイヤーから、AIというオーケストラに向かってタクトを振る指揮者へと進化します。

指揮者は、自分では音を出しません。

しかし、「どんな音楽を奏でたいか」という強烈な「意志」を持っています。

石器を手に取ったあの日のように。

私たちは今、AIという新しい「拡張された脳」を手に取り、自分の意志をより遠く、より鮮やかに世界へ届けるための新しいステージに立っているのです。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (1件)

  • “忘れるために書く”
    印象に残ったキーワードです。

    振り返って考えてみると、“忘れないために書く”、“記憶するために書く”という行動でしたが
    思考できる脳にするために忘れさせるという考えはなかったです。

    AI活用により、人間は考えなくなる、脳が衰えていく懸念があるというような危機感煽ったような記事だったり、そのような話を聞いたこともありますが、それは全く異なるものだと納得できました。

    どんなに生成AIが発達しても、人の知識や経験は必要であり、最終判断や決断も人。プロンプトするのも知識や文章力・指示力がポイントで、また画像生成においては想像やイメージするものを文字や言葉にしていくためのスキルは必要だと感じます。

    思考力が衰えるのではなく、もっと思考したり学んだり感じたりすることがより必要になってきていると逆に感じています。
    知識を知恵にしていく手助けをするのがAIですね。
    AIは自身のパートナーであると思ってましたがおっしゃっているように「脳の拡張機能」であり自分の脳の一部であると理解しました。

    非常に面白く、関心を持って読ませていただきました。

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